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2008年3月10日 (月)

昨日のお話・・・

週末はいろいろな出来事がありました。何から報告しましょ・・・

まずは昨日のお話させてください。

昨日は法事でした。

我が家は神道なのですが、平成6年に他界した父の15年祭とついでに、祖父の20年祭、祖母の25年祭もひきよせてお祀りさせていただきました。

我が家の和室に神主さんに祭壇をこしらえていただいて・・・

15年ですから、ごくごく親しい親族だけでお祀りしました。

今の自分を見て、父や祖父・祖母はどう思っているのでしょうか?

おごそかな気分になりました。

人間は2回死ぬそうです。一度は肉体の死。そしてもう一度はその人が存在していたことを誰も知らなくなったときだそうです。

父の場合は私の奥さんは少し知っていますが、子ども達は知りません。

祖父・祖母の場合は私しか知りません。

ってことは私がお祀りしなくなったら、2回目の死・・・

仕方のない事かもしれませんが、その日が少しでも遅くなるようにできるだけ長生きして、父たちをお祀りしたいと思います。

そしてその姿をうちの子供達が見て、何かを感じてくれるといいのですが・・・

少しさびしい話題でしたね。

でも祖先、そしていろいろな方たちがいるからこそ今の私があるのです。

感謝します happy01

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昨日のお話・・・を参照しているブログ:

コメント

安楽先生、おはようございます。
先日はお電話失礼いたしました。お忙しいところ申し訳ございませんでした。5月2日はよろしくお願いいたします。

お父上の15年祭だったんですね。
私はこう考えています。
自分の妻は勿論のこと子や孫に、自分達の父母、祖父母、先祖のことを語り継ぎ、また、お墓参りをするなど共にご先祖様にふれることで、伝えまた感じてもらうことが、”2回目の死”が訪れないことだと・・

また、心の持ちようなのでしょうが、屁理屈なのかもしれませんが、いろいろな人やモノにより自分が支えられているのだとしたら、自分自身が伝え行うことにより、その支えられている人やモノが活かされるのではないでしょうか?
こうなってくると、故人が存在していたことも形は違えど、意味をなしているというふうに私は解釈しています。

なんか上手く伝えられませんが、それが自分自身の生きていく上での”役割”に繋がっていくのかな?って現時点では思っています。
何か朝から重いですね・・・

でもこのようなことを改めて考えさせて下さった安楽先生に感謝です!

今日も一日頑張りましょう!

本高さん、いつもコメントありがとうございます。
なんとなく年度末でバタバタしています。
「2回目の死」は中村文昭さんの師匠の田端さんの言葉ですよね。
こんな機会に考えるとちょっとさびしくなってしまい書いたブログです。
でも、それが私の“役割”なのですね。ありがとうございます。
まさに「人生は神の演劇、その主役は己自身」なのですね。
いつも本高さんには、適切なアドバイスをいただき感謝です。

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