あれから15年・・・
今日8月6日といえば・・・
ヒロシマの日ですが、鹿児島県民にはもうひとつ苦い思い出があります。
今から15年前の今日、午後から鹿児島市を襲った集中豪雨により49人の犠牲者を出した8.6水害がありました。
当時私は鹿児島市立病院に研修医として勤務していました。
降り続く雨で患者さんも少なく、当日私は定刻より少し早く病院を後にしました。
武之橋をわたり、知人宅へ向かいましたがその後雨がますます強くなり停電。
結局平之町の自宅へは帰れず、ラジオから聞こえるニュースや安否情報に眠れぬ夜を過ごした記憶があります。
翌朝になってやっと自宅へ・・・
途中昨日はあった武之橋がなくなっており、背筋が寒くなったのを覚えています。
自宅は4階だったのでなんともなかったのですが、駐車場の車は屋根まで冠水しており廃車となってしまいました。
確かあの何日か前に国分(現在の霧島市)地方も集中豪雨で河川が氾濫して犠牲者が出ていました。
その後も台風の影響で2回ほど甲突川があふれました。
あの夏は異常でした。
氾濫する川とシラス台地ゆえの容赦ない崖崩れ・・・
鹿児島県は至る所で交通が寸断され、また浄水場も被災したため約1ヶ月にわたる断水。
人間の無力さ、自然の猛威をまざまざと見せつけられた夏でした。
8.6水害やその他一連の犠牲者の方の冥福をあらためてお祈りいたします。
私たちが決して風化させてはならない記憶です。
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