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2010年7月29日 (木)

プチ同窓会!

鹿児島県鹿屋市、安心・安全・快適な歯科医療空間づくりを目指す安楽歯科院長ブログ「夢があるから・・・ v(^0^)v」へようこそ!

昨日は東京在住の同級生が帰省しているとのことで、急遽プチ同窓会となりました。

Dscn0177 写真の他にも5名の参加者がいました!

中には幼稚園から一緒という同級生もいて・・・

しかしいつまでたっても同級生は同級生(当たり前ですが・・・coldsweats01)、すぐに時間を越えて盛り上がれます。

うれしいですね happy01

1次会も2次会も同級生のお店でしたが、大変楽しい時間を過ごすことができました。

ありがとうございました。

また声かけてくださいね !

ところで前回の飲み会の写真と同じ格好でした・・・

失敗・・・ sad

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コメント

博史さんへ   ぜひ、教えてください!!

肝付家初代兼俊から8代兼重(1349年没)まで、どう計算しても、代々継続するには、実質7代(7代兼尚と8代兼重は兄弟)では、1代で当主座位期間約39年となり、計算上無理があると思います。(1349年ー1030年=319年÷8代=39年)
初代兼俊から2代兼経の間に何代か、不明な名前があるのでしょうか?(兼経は柏原の熊野神社近くに夫婦供養塔を建て、専門家は、鎌倉時代の造りで兼経が建てたものだそうです。)

安楽家家系図では、初代俊貞の生没年とか他の当主の生没年の記述はあるのでしょうか??初代俊貞は1040年頃生まれ、1070年頃安楽姓になったとすると、兼寛が1575年没ー俊貞が1040年頃生=535年÷20代=26.7年、(1代の当主座位期間)、肝付良兼1571年没ー兼俊が1030年頃生=541年÷17代=31.8年、(1代の当主座位期間)となります。
どこか計算が合わないような?ぜひ、教えてください!!

(ちなみに、1代の平均座位期間、室町時代は1573-1338=237年÷15代=15.8年、江戸時代は265年÷15代=17.6年です。)よろしくお願いします。 _(._.)_  ( 高山郷史誌は郷土誌の間違いです。)

肝付人さん、こんにちは。
 
前回はお返事もせず申し訳ございませんでした。
なるほど、よくわかりました。
確か参考になる資料があったと思います。
ちょっと時間をください。

肝付人さん、こんばんは。
 
私なりに調べてみました。
まだ頭がはっきりしませんが、あまりお待たせするのも何なのでとりあえずコメントさせていただきます。
 
私の調べたところでは肝付(初代)新太夫兼俊の肝付検非違使任命と肝付移城は長寛3年(1165)となっています。
兼俊から2代兼経の文治元年(1185)まで20年、兼経から4代兼員の文永11年(1274)まで3代で89年、兼員と5代兼石の所帯譲与の弘安6年(1283)まで9年とほぼ疑問はないのではないでしょうか?
ただし初代兼俊の父とされている伴兼貞の肝付院検非違使任命が長元9年(1036)となっており、この間129年のズレは謎とされています。
この資料を書かれた郷土史家 故 宮地俊貴氏はこの間に脱落した3ないし4代が存在しているのではないかと推察されているようです。

また蛇足として当安楽家の3代に兼貞・4代に兼俊という人物が存在し、この両名が肝付宗家の人物と誤解されて、各郷土史などの年代推定のさまたげになっている可能性があることを小学生の頃、生前の氏から聞いた記憶があります。
確か梅北家・北原家に関してのことだったと思いますが、梅北家初代は宗家初代兼俊の子息ではなく、安楽家4代兼俊の子息であるとかいったような・・・
あまりに昔ではっきり覚えていません。

さらに残念ながら、当家初代俊貞等の生没年は系図には記載されていません。

とりあえずここまでコメントさせていただきます。
何かのお役に立てればよいのですが・・・
相変わらずの勉強不測で申し訳ありません。

博史さんへ 

 毎日お忙しい中、早速、コメントありがとうございます!! _(._.)_
 
文面を読み、大変衝撃を受けています。いろいろ考察したいので、考えがまとまったらコメントいたします。(大変参考になります。)

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