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鹿児島県鹿屋市、安心・安全・快適な歯科医療空間づくりを目指す安楽歯科院長ブログ「夢があるから・・・ v(^0^)v」へようこそ!
先日の日曜日は娘のバレエの発表会でした。
中3の娘は教室の中では最年長・・・
ビデオ撮影に写真撮影であんまりゆっくり見れませんでした
それなりの役がまわってきて、出番の多いので親としてはドキドキ
娘も11回目の発表会、よく頑張ったと親ながら思います
なんとか無事に終わってホッとしました
応援にきていただいた皆様、ありがとうございました
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娘の発表会を参照しているブログ:
ビックリ!!
資料確認のため、兼道を検索すると、博史さまにコメントした内容がGoogleで3の箇所に記載されいて、驚きました!! (たぶん、検索数が少なく上位にランクされたものと思います。) 兼道の子孫の方は、PCのネット上に記載されることを前提に話して頂いた訳ではないので、初めの僕のコメントを削除してください!! (記載内容にプライバシーの侵害はないものと思いますが、子孫の方にご迷惑がかかると本意ではないので。) 僕個人の疑問を博史様に質問しただけで、特別公開を目的にしたものではないので、削除をよろしくお願い致します!! 肝付人
投稿: 肝付人 | 2010年7月14日 (水) 20:31
肝付人さん、こんばんは。 最初に博史様はかんべんしてください。さんづけくらいで結構ですので・・・ さっそくですが、ご要望のコメントは削除させていただきました。 さてご質問の件にお答えできる範囲で返答させていただきます。 1.についてですが、肝付宗家18代兼護のときに、肝付家再興を策して当家20代兼寛が奮戦したのが最後で、当家21代以降は新城島津家に仕えて明治維新に到ります。少なくとも記録に残るような宗家との交流はなく、現在もまったくありません。恥ずかしながら肝付家21代と検見崎家との事はまったく知りませんでした。 2.当家の家紋は「亀甲の内に鶴の雌雄向ひあいて若松を含む紋」となっています。これは嫡家のみが使用する紋でして、庶流は鶴の丸、向ひ鶴、菱鶴等也と定められていたようです。多分宗家も同じ様なものなのではないでしょうか。 3.に関してですが、確かに当家は大伴氏系なのですが、系図はあくまでも天智天皇系として書かれています。ですので私の持っている資料によりますと、当家の氏神は「観世音菩薩、大黒天、頴娃牧聞宮、天智天皇ならびに皇太后也、志布志山口大明神、大友皇子也、高山四十九社大明神、稲荷大明神」とされています。大来目命については存じ上げません。また恥ずかしながら肝付本城もきちんと訪れたことはありません。 蛇足ですが、子供の頃に34代の祖父より高山本城の埋蔵金の話を聞いた記憶があります。なんでも高山本城退去の際に、手持ちの金を球状にして本城内に埋めたというものです。それ以外に手がかりになるような伝承も記録も残っていませんので、あくまでも伝説の域を出ないものと思いますが・・・(笑) でもそんな話が伝わるだけでもロマンを感じます。 いつもお役に立てず申し訳ありません。 逆に私がいろいろとご指南いただきたいほどです。 今後も何かありましたら、宜しくお願いいたします。
投稿: 院長 | 2010年7月14日 (水) 21:41
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ビックリ!!
資料確認のため、兼道を検索すると、博史さまにコメントした内容がGoogleで3の箇所に記載されいて、驚きました!! (たぶん、検索数が少なく上位にランクされたものと思います。)
兼道の子孫の方は、PCのネット上に記載されることを前提に話して頂いた訳ではないので、初めの僕のコメントを削除してください!!
(記載内容にプライバシーの侵害はないものと思いますが、子孫の方にご迷惑がかかると本意ではないので。)
僕個人の疑問を博史様に質問しただけで、特別公開を目的にしたものではないので、削除をよろしくお願い致します!! 肝付人
投稿: 肝付人 | 2010年7月14日 (水) 20:31
肝付人さん、こんばんは。
最初に博史様はかんべんしてください。さんづけくらいで結構ですので・・・
さっそくですが、ご要望のコメントは削除させていただきました。
さてご質問の件にお答えできる範囲で返答させていただきます。
1.についてですが、肝付宗家18代兼護のときに、肝付家再興を策して当家20代兼寛が奮戦したのが最後で、当家21代以降は新城島津家に仕えて明治維新に到ります。少なくとも記録に残るような宗家との交流はなく、現在もまったくありません。恥ずかしながら肝付家21代と検見崎家との事はまったく知りませんでした。
2.当家の家紋は「亀甲の内に鶴の雌雄向ひあいて若松を含む紋」となっています。これは嫡家のみが使用する紋でして、庶流は鶴の丸、向ひ鶴、菱鶴等也と定められていたようです。多分宗家も同じ様なものなのではないでしょうか。
3.に関してですが、確かに当家は大伴氏系なのですが、系図はあくまでも天智天皇系として書かれています。ですので私の持っている資料によりますと、当家の氏神は「観世音菩薩、大黒天、頴娃牧聞宮、天智天皇ならびに皇太后也、志布志山口大明神、大友皇子也、高山四十九社大明神、稲荷大明神」とされています。大来目命については存じ上げません。また恥ずかしながら肝付本城もきちんと訪れたことはありません。
蛇足ですが、子供の頃に34代の祖父より高山本城の埋蔵金の話を聞いた記憶があります。なんでも高山本城退去の際に、手持ちの金を球状にして本城内に埋めたというものです。それ以外に手がかりになるような伝承も記録も残っていませんので、あくまでも伝説の域を出ないものと思いますが・・・(笑)
でもそんな話が伝わるだけでもロマンを感じます。
いつもお役に立てず申し訳ありません。
逆に私がいろいろとご指南いただきたいほどです。
今後も何かありましたら、宜しくお願いいたします。
投稿: 院長 | 2010年7月14日 (水) 21:41